宮本邦久 Angel Investor
ストーリー

創業者から、エンジェル投資家へ

中学生のとき映画「ウォール街」のゴードン・ゲッコーに憧れた少年は、25歳でエンジェル投資家になる決意を固め、会社を創業。ゼロから東証一部上場を果たし、135億円でExitした後 — いま、次の世代の起業家を支援している。

宮本邦久 QWSスタートアップアワード審査員
QWS Startup Award — 審査員

中学生だった宮本邦久は、映画「ウォール街」を観て衝撃を受けた。ゴードン・ゲッコーが自由に世界を動き回り、自分の判断で投資する姿。その映像が心に焼きついた — 自分のお金で、自分の信じる会社に自由に投資できる人間になりたい。

しかし宮本は早い段階で理解していた。自由に投資するには、まず資金と実績が必要だ。25歳、VC子会社で働いていたとき、最短ルートを描いた — 会社を創業し、上場させ、自分のお金で投資する。そこから始まった18年間の旅は、創業、瀕死の危機、再起、IPO、そして135億円のExitを経て、少年時代に描いた生活へとたどり着いた。

「自分のお金で好きなように投資できるようになりたい!」
年表

歩みのすべて

商社マンから専業エンジェル投資家まで — 成功だけでなく、成功を形作った失敗も含めたすべての章。

~1990
原点 — 映画「ウォール街」
中学生のとき、映画「ウォール街」のゴードン・ゲッコーの自由な姿に心を奪われる。投資家になることを夢見る — 自分の意志で世界を動ける人間に。
1998
慶應義塾大学SFC卒業 → 日商岩井(現・双日)入社
慶應義塾大学 総合政策学部を卒業後、大手総合商社・日商岩井(のちに双日と合併)に入社。
2000
ITX(VC部門)へ転籍
日商岩井からスピンオフしたVC子会社・ITXへ。投資側と事業運営の両方を経験。25歳のとき「自分のお金で自由に投資できる人間になる」と決意し、創業→上場が最短ルートだと見定める。
2004
株式会社ネットマーケティング創業
BtoB広告事業からスタート。最初の投資家は母親 — 200万円の借入と18万円の出資。1期目の売上3億円、2期目4億円。会社は成長軌道に乗っていた。
2006
売上ゼロへ — 最初の危機
3期目上半期は3億円。下半期はゼロ。最初のビジネスモデルが完全に崩壊した。人生で最も暗い時期のひとつ。しかし諦めず、新しい広告事業モデルで再起を果たす。
2012
マッチングアプリ「Omiai」リリース
「タイムマシン経営」を実践 — 海外でマッチングアプリが成功しているのを見て、日本市場に持ち込んだ。Omiaiは数百万ユーザーに成長し、日本の恋活・婚活マッチング市場の代名詞となる。
2015
上場承認の取り消し — 壊滅的な挫折
上場目前で、承認が取り消される。何年もの準備を重ねた末の打撃。しかし宮本は態勢を立て直し、再挑戦を決意する。
2017
JASDAQ上場
挫折から2年。ネットマーケティングはJASDAQへの上場を達成。東証を駆け上がる、その始まり。
2018
東証二部上場
JASDAQ上場からわずか1年で東証二部へ市場変更。この頃から起業家との面談を開始 — エンジェル投資家への第一歩を踏み出す。
2019
東証一部上場
東証の最高ステージである一部上場を達成。わずか2年で3つのステージを駆け上がるという異例のスピード。
2021
Omiai情報セキュリティ事故
Omiaiにおける情報セキュリティインシデント。キャリアの中で最も辛い出来事のひとつ。トップにいても、危機は予告なく訪れるという厳しい教訓。
2022
ベインキャピタル TOB — 135億円でExit
米国ベインキャピタルによるTOBで135億円の会社売却。代表取締役を退任。母親の創業時の出資18万円は — 企業価値1,000万円の会社が135億円になったことで — 1,000倍のリターンに。借入の200万円はすぐに返済していた。2018年から約360人の起業家と面談を重ねており、専業エンジェル投資家としての本格稼働を開始。
2022–
専業エンジェル投資家
994社と面談。29社へ投資。投資総額4.37億円。12社のVCへLP出資。適格機関投資家。中学生のとき映画「ウォール街」を観て描いた夢を、いま生きている。
哲学

なぜエンジェル投資なのか

18年間の事業経営を経て、宮本は引退しなかった。25歳から夢見ていたたった一つのこと — 自分のお金で、自分の判断で、自由に投資する道を選んだ。

「それはもちろん最高です。人生の至福の時を迎えています。」

宮本にとってエンジェル投資は趣味でも副業でもない。少年時代からの夢の到達点だ。創業者として会社の全フェーズを自ら経験してきたからこそ、最も支援を必要としている初期ステージの起業家に、実体験に基づいた価値を届けられる。

「24時間365日、自分で自分の時間を支配できる生活」

しかし、自由だけが目的ではない。宮本は日本のエコシステムに特有の空白を見ている — VCが手を出しにくい、初期段階のハイリスクな案件。ステージが早すぎる、前例がなさすぎる、リスクが高すぎる。機関投資家の資金では対応しきれない領域。

「こういう案件こそ、個人でリスクをとれる私のようなエンジェルが投資しなきゃ誰が投資するんだ」
フレームワーク

3つのフェーズ、3つの適性

会社の成長フェーズすべてに同じリーダーが必要とは限らない。フェーズによって求められる力は異なる — それでいい、というのが宮本の考え方。

フェーズ 1

0 → 1

何もない場所から何かを生み出す。創業者にしかできない領域 — ビジョン、確信、混沌の中で形にする力。宮本はここから始めた。売上ゼロからネットマーケティングを創業。

着火
フェーズ 2

1 → 10

うまくいくものをスケールさせる。PMFは証明された — あとはチーム、仕組み、実行力。宮本はOmiaiを立ち上げから数百万ユーザーへ、そして東証一部上場まで導いた。

登攀
フェーズ 3

10 → 100

巨大なスケールでの運営。求められるスキルもリーダーシップも異なる。宮本はこのフェーズは別の人間が適していると考え、だからこそベインキャピタルへのExitでバトンを渡した。

継承

このフレームワークは理論ではなく、宮本自身の実体験だ。0→1と1→10を自らやり遂げ、10→100は別の人間に託すという選択を意図的に行った。そして今、自分が最も力を発揮できる場所に戻っている — 最も困難な初期フェーズを戦う起業家の支援。

振り返り

人生のトップ10 — 晴れの日と雨の日

「毎日が晴れだといづれ砂漠になる。雨の日も必要。」
#1
JASDAQ上場(2017年)
13年間の事業構築の集大成。人生を決定づけた瞬間 — 夢は実現可能だと証明した日。
#2
ベインキャピタル TOB — 135億円(2022年)
次の章を切り拓いたExit。積み上げてきたすべてが報われた瞬間であり、専業エンジェル投資家としての始まり。
#3
ネットマーケティング創業(2004年)
運命を賭けた跳躍。安定したキャリアを捨て、母親の出資を元手にBtoB広告事業をゼロから始めた。
#4
Omiai情報セキュリティ事故(2021年)
最も辛い出来事のひとつ。最も過酷な状況下で経営者としての力が試された。
#5
売上ゼロ(2006年)
3期目 — 最初のビジネスモデルが崩壊。売上は3億円からゼロに。レジリエンスの究極の試練であり、再起の始まり。
#6
上場承認の取り消し(2015年)
上場目前で承認が取り消された。IPOの夢を完全に断ち切りかねない壊滅的な打撃 — だが、諦めなかった。
#7
Omiaiリリース(2012年)
「タイムマシン経営」で日本にマッチングアプリを持ち込んだ。会社の成長軌道を決定づけたピボット。
#8
東証一部上場(2019年)
東証の最高ステージ。わずか2年で3つのステージを駆け上がるという異例の快挙。
#9
母の出資が1,000倍に
創業時の母親の出資18万円 — 企業価値1,000万円の会社が、135億円でのExit時に1,000倍のリターンとなった。借入の200万円はすぐに返済。出資はレガシーとなった。
#10
エンジェルとしての29社投資
994社との面談を経て29社へ投資。上場企業の創業者が一流のエンジェル投資家になれることを証明するポートフォリオの構築。
ビジョン

日本に新しいキャリアモデルを

米国では成功した創業者がエンジェル投資家になることは当たり前。日本ではまだ珍しい。宮本はそれを変えたいと考えている。

宮本のビジョンは、自分のポートフォリオにとどまらない。上場企業のCEOが専業エンジェル投資家に転身するという、日本における新しいキャリアモデルを提示したいと考えている。米国ではこの道は確立されている — 会社を創業しExitした起業家が、最も価値のあるアーリーステージ投資家になるのはごく自然なことだ。日本では、そのパイプラインがほとんど存在しない。

「必ずスタートアップエコシステムの成長が加速する」

宮本のテーゼはシンプルだ。創業からIPO、Exitまでの全過程を経験した創業者は、VCの研修では身につかない知恵を持っている。そうした創業者が自己資金をアーリーステージの会社に投じるとき、彼らがもたらすのは資金だけではない — 実戦で鍛えられた判断力、事業に直結するネットワーク、同じ道を歩んできた者だけが持つ信頼感。

自身の歩み、投資実績、哲学を公にすることで、宮本は他のCEOたちに示したいと考えている。エンジェル投資は実現可能なだけでなく、人生で最も充実した時間になりうるということを。目標は、経営者から投資家への転身が創業者のキャリアの中で最も実りある章になりうると証明することだ。

母が最初の投資家だった。200万円の借入と18万円の出資。借入はすぐに返した。出資は1,000倍になった。

本気で上場を目指す起業家へ

売上ゼロから東証一部上場、そして135億円のExitまでを経験した投資家として、同じ志を持つ起業家を全力で支援します。次の上場企業を共に創りましょう。